声明の種類

声明は大きく分けて下記のものがあります。


1、梵讃(ぼんさん)
インドの文字である梵語音にてあらわされた歌詞にてお唱えする梵讃のことをいいます。讃とは、仏さまを讃歎(さんたん)するということです。

2、漢讃(かんさん)
中国で新たに作詞されたものと、インドで作詞されたものを漢訳されたものの二種類があります。漢語であらわされた歌詞にてお唱えする讃です。

3、和讃(わさん)
日本に伝わるカナまじり文で作られたものです。

4、伽陀(かだ)
偈頌文につくられたもので、字数を定めて句をつくります。四句もしくは六句をもって一偈頌とし、その間に漢語の韻をつけます。

5、誦経(じゅぎょう)
阿弥陀経・盂蘭盆経・般若理趣経などの経文に音符を加えてお唱えするものです。

6、念仏(ねんぶつ)
釈迦念仏など音符のままに仏名をお唱えするものです。理趣経の合殺(かっさつ)のようにして用いる場合もあります。合殺についての意味は詳しくはわかっておりませんが、終わりの曲で三返もしくは十一返、二十一返、三十七返など繰り返してお唱えします。

7、祭文(さいもん)
日本独特のもので、祭儀を執行する主旨を述べるものです。仏徳あるいは祖師の徳を歎ずるもので、様々な形式のものがあります。

8、講式(こうしき)
これも日本独特のもので、それぞれの儀式で一会の人を代表して式師として仏教の趣旨を講じて仏徳を嘆じ讃述します。一段、三段、五段、九段、十一段などの数で構成されています。代表的なものに、常楽会(じょうらくえ)での涅槃講式・羅漢講式・遺跡講式・舎利講式や明神講式などさまざまな形式のものがあります。

9、表白(ひょうはく)
供養の法会を勤めるための願意を申すものです。表白には神分(じんぶん)が付け加えられてお唱えされます。仏さまの御名を唱えて、願い事がかなうように祈念します。

10、論議(ろんぎ)
日本において仏教学が盛んになるに従い、問答をして経論などの真意を究明する方法が行われるようになりました。問者(もんじゃ)と答者(たっしゃ)に分かれて神仏の前で問答し、論難を決定するので論議といいます。高野山では現在もその伝統を守り伝えております。

11、仏名(ぶつみょう)
念仏や合殺のように直接仏さまの名前を称するものではありませんが、諸法会における表白や神分のおわりに唱えて供養し、本尊の加護を願うものです。

12、教化(きょうけ)
和文の声明で、比較的簡単な和文にて仏の教化や法会の功徳を讃じるものです。片句(かたく・・・簡単なもの)と諸句(もろく・・・対句にする)とがあります。

13、諷誦(ふじゅ)
仏教の思想や信仰を表したり、引導のときに亡くなった方の功績をたたえるときに使います。これを諷誦文(ふじゅもん・ふじゅぶみ)といいます。

14、詠歌(えいか)
純粋声明道からみれば応用門に入りますが、和讃の一種であります。

以上のように分類されますが、いずれにしても一定の音韻にて曲として高下・抑揚(よくよう)をつけてお唱えするものです。そして、聞く人に感動をあたえ、仏さまの世界へ、その音を聞くことによって導き、お互いに三昧(さんまい)に入れるように心をこめてお唱えすることが大切であります。


弘法大師「声字実相義」の序文
それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵その体なり。六塵の本は法(身)仏の三密これなり。平等の三密は法界に遍じて常恒なり。五智四身は十界に具して欠けたることなし。悟れるものをば大覚と号し、迷えるものをば衆生と名づく。衆生痴暗にして自ら覚るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう。帰趣の本は名教にあらざれば得ず。名教の興りは声字に非れば成ぜず。声字分明にして実相あらわる。いうところの声字実相とはすなわちこれ法(身)仏平等の三密であり、衆生本有の曼荼(羅)である。故に大日如来はこの声字実相の義を説いて、彼の衆生の長眠の耳を驚かしたもう。もしは顕もしは密或いは内或いは外、所有の教法誰かこの門戸によらざらん。



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